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前向きな心を持って
日々笑顔で過ごして頂ける
医院づくりをしていきます。

大浦 嘉仁

OURA eye clinic

大浦 嘉仁

こんにちは!
おおうら眼科院長の大浦嘉仁(おおうらよしひと)と申します。
この度、ご縁がありましてこの大阪市淀川区の三国の地で開業させていただくことになりました。
私は大阪大学医学部を卒業後、大阪大学医学部眼科学教室に入局して、日本でトップレベルの医療水準、症例数を誇る阪大病院(硝子体手術件数全国7位2017年)、大阪労災病院(硝子体手術件数全国3位2017年)、社会保険紀南病院(白内障手術1800件 2020年)で眼科臨床に従事してきました。

そこでは、特に白内障や糖尿病網膜症、網膜剥離などの網膜硝子体疾患に対する手術治療を多数経験するとともに緑内障や眼瞼下垂、翼状片などの手術治療を幅広く取り組みました。
大浦 嘉仁

OURA eye clinic

大浦 嘉仁

「視細胞(視るためにもっとも大切な網膜の細胞の一種)を保護、
再生することで視力のポテンシャルをひきだし、治療効果を増大させることはできないか」
という思いを胸に秘め、大阪大学の大学院に進学して研究に取り組みました。
網膜の病気である加齢黄斑変性や網膜色素変性症モデルのゼブラフィッシュ(メダカのような魚の一種)を用いて研究で得た成果で医学博士号を取得しました。その研究で海外の学会で発表をしたり賞をいただいたりしました(ARVO(米国) 2012、2013、2014、日本再生医療学会奨励賞 2015年、WAKAMOTO opthalmic award: silver award2018)。その研究の傍ら、大学付属病院で臨床(診察・手術など)も並行して行い充実した日々を送っていました。
その後、地域で患者様に求められて眼科医療を提供し、症例数も7000件を超えるほどになるうちに、自分の医師としての信念、価値を自問していくうちにひとつの医師としての信条を得ました。
「患者様が前向きに生きる元気を取り戻す手助けをしたい」
       
自分自身の視機能のポテンシャルを治療や眼の使い方によってひきだすことには技術や知識が必要です。
これまでの臨床経験で得てきたノウハウを用いてそれを可能な限り実現し、患者様に満足していただけるように最大限努めます。
また、医院のスタッフが一丸となって患者様の不安や健康状態をサポートできるように、医院を組織していきます。

そして患者様が当院を受診した後には、前向きな心を持って日々笑顔で過ごしていただける自信をつけて帰っていただけるような医院づくりをしていきます。

どうぞ皆様、長いお付き合いをよろしくお願いいたします。

生い立ち UPBRINGING

幼少期の宮崎時代

昭和52年8月28日に長男として生まれました。
『嘉仁(よしひと)』という名前は親が好きな字であった2文字を組み合わせて名づけられました。自分でも良い名前だと気に入っています。ただ、一見して読んでもらえることが少なく、とくに「嘉」の字を電話口で説明する時にいつも困ります。「嘉門達夫の『嘉』、渡嘉敷勝男の『嘉』」といいますが、世代が若いとなかなか伝わりにくい(笑)。

大阪にはキタ寄りの大阪人とミナミ寄りの大阪人がいるかと思いますが、両親は宮崎県都城市の出身なので、文化的には宮崎と鹿児島の影響をうけていて、すなわち「鹿児島寄りの宮崎人」です。これ以外に「大分寄りの宮崎人」もいます。ぼくの勝手な分類です。

中高の学生生活では勉強も頑張りましたが、プロレス・格闘漫画・競馬・麻雀といった昭和な趣味ど真ん中を貫きました。これらの趣味が好きになったきっかけは、受験勉強から知った寺山修司や阿佐田哲也に始まり、勝負の世界である格闘技、競馬、麻雀の豪快さと胡散臭さと哀愁がごちゃませになったすこしアングラな世界観を興味深く感じたからでした。さわやかな青春とはどこへやら。でも大変充実した学生生活でした。父が眼科医であった影響もあり、大学受験は医学部を志望しました。趣味の競馬の影響で「中央競馬のある都市に進学したい」という不純な動機で大阪大学を志望しましたが、不合格になり一年浪人しました。そりゃそうです。しかし、東京での浪人生活で都会の整備された環境や最新の情報に触れる大切さに気付き、それが私の人生に大きな影響を与えました。けがの功名ですね。

大阪の大学生時代以降

念願かなって大阪大医学部に入学し、ラグビー部に入部しました。当時、宮崎では関西弁をしゃべる人自体が皆無だったので、ラグビー部の先輩方がしゃべるボケ・ツッコミのあるしゃべりに驚愕しました。

ラグビーというスポーツは人生のすべてを教えてくれるスポーツです。5回生の時にキャプテンをさせていただきましたが、そこでの経験、挫折、友人関係がいまの私の人格形成や医師としての在り方に大きく関わっています。

眼科をはじめから志望していたわけではなく、心臓血管外科に興味がありました。臓器や学問として非常に興味があり、やりがいが持てると感じていたからです。

ただ臨床家として一流を目指すときに海外で数年~十年以上の修行、経験が必要になるという認識でした。私は日本が好きで、人生を通じて日本の人々の提供できる医療を志向していたこと、診断から治療まで外科・内科の区別なく診ることのでき、症例数も豊富にある眼科に魅力を感じ、眼科医として身を立てる決意をしました。

家族

私・妻・娘2人(中学生・小学生)の4人家族です。
加えて3歳になるボストンテリア(メス)とトイプードル(メス)を飼っています。

犬を部屋飼いした経験が初めてで、ずっと3歳児のような個性豊かな2匹のわんこに癒されています。
ボステリの名前はメスなのに「イギー」です。由来はあの有名な漫画からです。

趣味

読書(漫画・ビジネス書)です。漫画の守備範囲はこの年齢では相当広い方だと思います。
好きなジャンルは歴史・格闘技・異世界・政治系で、苦手ジャンルは学園もの・ヤンキーものです。おすすめ漫画を是非教えてください。

そして、スポーツ観戦が大好きです。2015年のラグビーW杯(南ア対日本)は感動しましたね。
未だに録画が消せません。
最近は涙もろくて、これ以外にもオリンピックの女子ソフトボールの金メダルや卓球女子団体の試合などはテレビの前で涙していました。

また、旅行が好きです。国内の旅行が多く、自然豊かなところにはまっています。
南国育ちで寒いのが苦手なため雪国は敬遠していましたが、最近は北海道の魅力(知床、トマム)に取りつかれています。

略歴 BIOGRAPHY

  • 1977年生
  • 宮崎県宮崎市出身
    宮崎県立宮崎西高校卒業
  • 2003年、大阪大学医学部医学科卒業
  • 同年 大阪大学医学部眼科学教室入局

社会保険紀南病院(和歌山県田辺市)、大阪労災病院(大阪府堺市)に転出し、主として白内障や緑内障、網膜硝子体疾患の外科的治療の診断および治療を行ってきた。

その後、大阪大学大学院医学系研究科に入学。加齢黄斑変性および網膜色素変性症の研究の傍ら、大阪大学医学部附属病院の網膜専門外来にて白内障や網膜硝 子体疾患の診断、治療に従事した。 大阪大学医学部で特任助教として勤務ののち、2018年に京都ルネス病院 (京都府福知山市)に転出。同年に医学博士を取得した。

同病院では専門の白内障、網膜硝子体疾患の多数の症例を治療しつつ、地域のニーズに答える形で緑内障の外科的治療も積極的に行ってきた。 また地域医療の担い手として、幼少期から学童期に対する斜視弱視治療やコンタクトレンズトラブルや眼外傷などの対応も経験。

所属 BELONG

  • 日本眼科学会
  • 日本白内障学会
  • JSCRS 日本網膜硝子体学会
  • 日本緑内障学会
  • 日本糖尿病眼学会

資格 LICENSE

  • 医学博士
  • 日本眼科学会眼科専門医
  • 難病指定医